たけのこです。
一番好きなサッカー選手は、
ジャンフランコ・ゾラです。
ゾラについて語るだけ語ります。
好きなサッカー選手はたくさんいます。
バッジォ、マラドーナ、ハジ、ロシツキー、
レコバ、エジル、ベルカンプ、サネッティ。
終わらないのでこの辺にしますが、
一番はゾラです。
これは一生変わりません。
たけのこがサッカーを本気で見始めた、
その時に一番好きになったのがゾラでした。
そしてパルマというチームを応援しました。
マラドーナの全盛期の記憶は断片的で、
どちらかというと英雄なんです。
そのマラドーナにナポリ時代に指導を受け、
プレーとFKに磨きをかけ、
パルマに移籍したのが1993年でした。
ちょうどその頃から、
たけのこは本格的にサッカーを見始めました。
毎週1試合だけWOWOWでセリエAが放送される。
それだけが楽しみでした。
今はスカパー、WOWOW、そしてDAZN。
様々なサービスで各国リーグの試合がたくさん見れます。
ですがあの頃は毎週1試合のみ。
嫌いなチームの試合だけだったりしたんです。
当時はACミラン黄金期。
無敗優勝後の円熟味を増したチーム。
モラッティが会長に就任する直前のインテル。
バッジォの好不調が結果に直結するユヴェントス。
一瞬の輝きを見せたサンプドリア。
シニョーリとガスコインのラツィオ。
トッティが出てくる前、ジャンニー二率いるローマ。
セリエAが輝いていた時代にパルマは、
アスプリージャ、Dバッジォ、ミノッティ、ブロリン、
アポローニ、ベナリーヴォ、ムッシ、ディキアラ。
そんなメンバーでスクデットを目指して戦っていました。
アスプリージャとの2トップは、
常にたけのこをワクワクさせてくれたし、
PA付近のFKは常にゴールを予感させてくれました。
そして迎えた94年、アメリカW杯。
当時、全盛期を迎えていたロベルト・バッジォ。
怪我をしていましたが絶対的なエース。
たけのこも大好きでしたし、
実際この大会はバッジォの大会でした。
決勝のPKを含めて……。
多くの人は知らない、覚えてないでしょうが、
この時に全盛期を迎えていたのはゾラも一緒なんです。
むしろ予選では怪我をしていたバッジォの代わりに、
チームを引っ張り、W杯出場の原動力だったんです。
ですが本大会ではバッジォが戻ってきていましたし、
ポジション、プレースタイルが似過ぎているゾラは、
完全にサブ扱いでした。
そんなゾラに、出場機会が訪れたのは、
ゾラの誕生日7月5日、決勝トーナメント1回戦。
ナイジェリア戦の後半でした。
初めてのワールドカップ、初めての出番。
しかも誕生日ですからね。
たけのこの興奮は最高潮に達しました。
10分間だけ。
気合の入ったゾラはファール気味に奪われた後、
すぐに切り替えてボールを奪い返します。
よし、これはチャンスになる。
そう思った時になぜか吹かれる笛、
え、今のがファール?怒るたけのこ、
駆け寄る主審の手には赤い紙。
ゾラの人生最初で最後のワールドカップは、
この瞬間に終わりました。
たけのこは今でも誤審だと思っていますし、
ゾラ本人も後のインタビューで納得していませんでした。
失意の中、帰国したゾラでしたが、
翌シーズンにはUEFA杯を制覇。
パルマの黄金期を築きました。
そして96年のユーロではイタリア代表のエースとして出場。
しかしグループリーグ最終戦のドイツ戦、
PKを失敗してグループリーグ敗退の戦犯になってしまいます。
代表には縁がない……そう思ったのを覚えています。
この頃のゾラはPKの失敗が意外と多く、
「PKの時もFKの時のように壁が欲しい」
そう言ったのはこの頃だったと思います。
それが「PKよりもFKの方が簡単」という、
ゾラの代表的なセリフ扱いされてしまいましたが、
たけのことしてはそれもアリだと思っています。
それほどゾラのFKは素晴らしかったし、
ゾラ自身、マラドーナに教わったというFKには、
絶大な自信を持っていましたから。
この頃のパルマは強豪チームの仲間入りを果たし、
W杯得点王のストイチコフを獲得したり、
若干17歳のデビュー戦でACミランを完封するGK、
ジャンルイジ・ブッフォンが現れたりと、
スクデットがすぐそこに見えていたんです。
ですが翌シーズン、パルマの新監督に就任した、
憎きアンチェロッティとの確執で干されてしまい、
当時のイタリア人では珍しい他国への移籍。
たけのこのパルマへの愛と情熱は、
一気に消し飛んでしまいました。
今でもたけのこはアンチェロッティが嫌いです。
チェルシーではタイトルの獲得を含め大活躍。
サポーターからは絶大な支持を受けました。
レジェンドとして名前が挙がるのがよく分かります。
カリアリへの移籍が決まった後、
新オーナーのアブラモビッチから多額の給与、
なんならカリアリごと買収するとまで言われたそうですが、
故郷サルデニャのカリアリでのプレーを選択。
ゾラの人柄がよく分かるエピソードです。
そんなゾラはカリアリをセリエAに昇格させ、
2005年に選手を引退し、指導者の道へ。
指導者としては実績を残せていませんが、
まだまだこれからに期待しています。
たけのこがゾラに出会い、
ゾラのプレーを見ていた時間より、
引退後の方が長くなってしまいました。
少し寂しい気もしますが、
今もサッカーは面白いし、
好きな選手はたくさんいます。
いつかゾラが監督として、
ワールドカップ優勝を果たす日がくるのを、
たけのこは夢見ながら、今日もサッカー観戦です。